地方廻りの教員の子供に生まれ、山の中で育ったわたしですが、そこに親戚があるでなし。
生まれ育ったふるさとは、今ではどんな風になっているのか、見当もつきませんが、そこは信州南信濃村和田から上村 程野(ほどの)といったあたりです 生まれが和田、物心ついたのは程野です。
家の前にはつり橋があり、橋をわたったところに郵便やさんのおうちがありました。そこに、わたしと同い年の女の子がいて、名前はみーこちゃん 本名は みずよさんといいました。
いちばんのなかよしで、いつも一緒に遊んでいた幼馴染です。
わたしが、そこに住んでいたのは、4さいころまでだから、ほんとにかすかな記憶になってしまいます。
普通の人は、そういう幼馴染と、ずうっとおおきくなるまで、お友達でいられるんですね。
幼稚園から、高校生までずうっとなかよしのお友達がいたりして、考えて見ると、ほんとにうらやましいことです。
年ごとの記憶は、住んでいた家とともに思い出すことが出来ます。程野の家は2軒つながりで、となりに大家さんのおじいさんが住んでいて
お風呂は外にありました。チョコット囲いがあったかもしれないけれど。木のお風呂で、おかまがついていて、触ると熱いから気をつけて。
犬が来るからこわかった。
一番悲しかった思いでは、夜、三輪車を家の前に出しっぱなしにして、トラックにつぶされちゃったこと。あの時は悲しかった。よほど悲しかったのね。いまでも、それだけは忘れられないの。
おおきくなったら、みーこちゃんといっしょに学校にあがるって信じていたわたしだけれど、ある日、母さんが言いました。
黙っていようと思ったけれど… もうすぐひっこすって。
わたしが、あまり次々と、おもちゃやなにか、ひっぱり出すので、たまりかねて…
はじめてのわかれでした
ひっこしさきは、程野からさほど遠くない上村というところ。
バスに乗って新しいおうちへ行きました。
家の前には、小川があり、無花果の木が植えてありました。
熟れてはじけた、無花果のおいしかったこと
部屋は二間。道沿いの部屋は明るく、奥は狭くて暗い部屋。
ガラス窓に障子紙をはってあったのは、きっと母が、透明のガラスで中が丸見えになるのを嫌ったからで、白地に小さい模様が入っていたのは、あのころの流行だったのでしょう。
こじんまりした玄関で、ひとりで漫画の本を読んだり、オルガンを弾いて歌ったりしてたっけ。 おかあさま…泣かずにおねんねいたしましょ… リボンの騎士や 幸せの星 王女ミナコ
少女漫画を読みすぎて、こんなわたしになったのね。いくつになっても
夢ばかり追っている。更級日記のお姫様のよう。あの方の、生まれ変わりかしらと、おもいますのよ。器量も性格もよく似ていること…
あのかたが、子供の頃をふりかえって、あづまぢのみちのはてよりもなおおくつかたにおいいでたるひと… とかきはじめたこころの記録をひもといてみましょうか…このまどから
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