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山奥の東の国よりなお深く
都の風も通わぬところに育ったのわたし…
わらわないでね それは、どんなにやぼったくて、みすぼらしい暮らしをしていたことか
そんなわたしが、この世に物語というものがあるらしいと知ったのは幼い日、姉さんや継母があれこれと話しているのを聞いたから
ああ見てみたい あんな途切れ途切れの話ではなく、もっと続けて、ねえその後いったい、どうなったの?
みんなをさぞかし困らせたことでしょうね 誰一人、話の筋をおしまいまで知っている人などいないのですもの この田舎では…
でも京の都には物語というものがあるという…とうとう薬師仏さまを作っていただいて 誰もいないときにそおっとお部屋に行って、ひれ伏して、どうぞお願いいたします。今すぐ京の都へ上らせて、物語というものをあるだけすべて見せてくださいと、それは毎日毎日、涙を流してお願いしたのです
そんなお願いを聞き届けてくださったのか十三歳になる年、父さまが、また都づとめされることになって、家族そろって京の都へ上ることになりました 長月の三日の門出でした 長いこと住み慣れたおうちを牛車に乗って見送った…薬師仏さまもおいていく
さよなら…
あのころは、旅に出るときは、まずはじめに「門出」というのをして、本式の旅立ちの日まで、仮の宿で過ごします。ほんとに形ばかりの宿で、人の住めるようなところではなかったのですが、数日の間そこで過ごすと、また立ち去りがたい思いがいたしました。
そこは、家の周りに垣根も何もなく、いきなり掘っ立て小屋が建っているようなそまつなところで、みんなですだれや幕などををひき、ようやく人の住処らしくなりました。南側はひろびろと野原が見え、東がわは海が近く、いい景色でした。
夕方になると霧が出て、飽きることがありませんでした。
朝も、いつもはゆっくり寝ているのに、寝ているのがもったいないほどで、ほんとにはじめ来たときはさみしいところだと思いましたが、ここをたつ頃には、名残惜しくて悲しくなってしまいました。
その月の十五日、ひどい雨降りの日に国境を出、下つ総の国のいかたというところで一夜を明かしましたが、余りの大雨に恐ろしく夜も眠れませんでした。夜が明けると、野っ原の少し小高くなっているところに、木が三本だけたっているのがみえました。
その日は、雨にぬれたものを干しなどして、まだ国に残っていた人がこちらにつくのを待ちながら一日そこで過ごしました。
次の朝早く、そこをたち、下つ総の国と武蔵の国の堺にある太井川という川の川上の、まつさとのわたりにとまって、舟で少しずつ荷物を渡しました。それだけで、一晩かかってしまいました。
私の乳母だったおばさんも、いっしょに旅に出たのですが、ご主人を無くし、国境で一人で子供を産みました。 それで私たちの一行とは、別れ別れになってしまい、どうしても逢いたくてたまらなくなると、お兄さんが、おばさんのところへ馬にのせて連れて行ってくれました。
他の人は、風が入らないように幕を引いて有りましたが、おばさんのところはご主人がいっしょでないので、余り手入れも出来ず、苫という菰のようなものでぐるりと囲ってあるだけなので家の中に、月の光がさしこみ、紅色の着物を着て臥せっているおばさんの肌が透き通る程白く、余りのきれいさに、わたしはひととき、声もなく立ちつくしてしまいました。
ようやく、おばさんのそばに行き話かけると、おばさんはわたしの髪をなでてくれました。 おばさんは、泣いていました。
ずっと、おばさんのそばについていてあげたいと思ったのに、もう帰らなくてはといわれ、なんと心残りだったことでしょう。こちらに帰ってきても、おばさんの姿を思い出し、悲しくなるばかり、月を見る気にもならず眠ってしまいました。
翌朝、みなで渡し舟に車を担いでのせ、川をわたり、ここで車をとめて、送りにきた人々と最後のお別れをしました。わたしたちは、川を隔てて帰っていく人たちを見送りました。みんな泣いていました。おさなかったわたしにも、しみじみとなきたいような気持ちが伝わってきました。
では、あのころにもどって 佐紀といっしょに、本をよみましょうか
この窓から、とびましょう
佐紀の声がきけます 

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