かどで



一 かどで  二 竹芝寺 三 足柄山 四 富士の山 五 梅の立ち枝

六 物 語 七 姉なるひと 八 東山なる所 九 子忍びの森


富士の山


 富士の山はこの国にあります。 私が育った国では、西側から見ていた山です。

 その山のすがたは、ほんとうに今まで見たこともない姿でした。
普通の山とぜんぜん違う。真っ青。 深い紺色のその上に雪が、いつもいつも消えることなく積もっていて、まるで色の濃い着物に白い袙を着ているよう。

 袙というのは・・、羽織みたいな・・短い着物のことです。
山の頂上の少し平らなところから、煙が立ち上っています。夕暮れになると、火が燃え立っているのも見えました。

  清美が関というところは、一方は海なのに、たくさんの関屋があり、海の側まで、柵で囲ってありました。
富士の煙と清美が関の波、どちらもすてき、もう目をみはってみつめていたの。ほんとにおもしろかった。


 田子の浦は波が高くて・・。もうもう。すごかった。そのあたりは舟にのってひとめぐりしました。

 大井川という渡し場がありました。そこの水が、変わっていて、まるでお米の粉を濃く流したように白い水が早く流れていました。

  富士川というのは富士の山から流れ来ています
その国の人がこんな面白い話を聞かせてくれました。

 ある年のことです。大変暑い日でしたので、この川のほとりで休んでおりました。すると、川上のほうから、黄色いものが流れてきまして、それがちょうど、ものに引っかかって、とどまっていましたので見ると、紙の、要らなくなった物のようでした。

 とリあげてみますと、黄色の紙に朱の文字が、濃く、美しく書かれていました。

 なんだろうと思い見てみますと、来年新しく国司が任命される国々を除目(ぢもく)の儀式のときのように皆書き出して、この国も来年は今の国司が満期になりますが、次の人を定め、また添えてもう一人かかれていました。。

 いったいこれは、どういうことだろうと、ともかくもこの紙を干して、しまっておきましたところ、次の年の司召、この書付のとうり、ひとつもたがわず、ところが三月もたたないうちに、亡くなられてまた新しい人が任命されましたが、それが、この傍らにそえて書かれた人だったのです。

 こういう珍しいことがありました。来年の司召などは今年この山に神様が大勢お集まりになってお定めになるのではないかと思うわけです。なかなか、面白い話でございます。

 その後のたびは順調で、ぬまじりというところを過ぎたころは、とてもさわやかでした。それが遠江にさしかかったころには、すっかり具合が悪くなってしまって、せっかく、さやの中山を通ったのに、なにもわからなかった。

 苦しくてどうしようもないので、天中という川のほとりに小屋をたててそこで、何日かすごしているうちに、少しずつ具合もよくなりました。でも、もう真冬に近いころでしたから、吹き上げる川風の冷たさが、身にしみて耐え難い心持でした。

 そこをたって、浜名の橋につきました。浜名の橋、京から下ったときはここに丸木を渡してありました。でも、今度来た時はもうあとかたもなくなっていましたから、舟でわたりました。

 入り江に渡してあった橋です。外海はすごい波で、怖かった。
入り江にはいくつか島があって、そこはなにもなかったけど、松原の茂る中から波が寄せかえるのが、宝石のようですごくきれいだった。

 松のこずえから波が越えるって言う感じ。ほんとに、おもしろかった・・・。

 それから、粟津というところに少し居て、いよいよ師走の二日、京の都に入りました。
向こうにつくのは暗くなってからがいいので、こちらを申の頃に出て、逢坂の関近くを通りかかったとき、仮ごしらえの板塀がならんでいて、そこにまだ荒つくりの、大きな仏様の顔がのぞいていました。こんな誰も住んでいないところに仏様が・・とじっとながめながら通りすぎていきました。

 いろんな国を行過ぎてきたけれど、駿河の清美が関と逢坂の関ほどいいところはないと思いました。

 もうすっかり暗くなって、三条の宮の西に着きました。




では、あのころにもどって 佐紀といっしょに、本をよみましょうか



この窓から、とびましょう
佐紀の声がきけます



次は 梅の立ち枝 その次は 物 語 その次は 姉なるひと その次は 東山なる所

その次は 子忍びの森

ほうむ